第二尚氏王統【琉球王】

第二尚氏王統(19代)

第二尚氏王統は19代続いている。
王に関連する伝承や史跡などをまとめてみた。

6つに分かれる琉球王統

天孫氏王統

舜天王統

英祖王統

察度王統

第一尚氏王統

第二尚氏王統

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王に関連する伝承や史跡などをまとめてみた

01 尚円

02 尚宣威

03 尚真

04 尚清

05 尚元

06 尚永

07 尚寧

08 尚豊

09 尚賢

10 尚質

11 尚貞

12 尚益

13 尚敬

14 尚穆

15 尚温

16 尚成

17 尚灝

18 尚育

19 尚泰

1代目:尚円(=金丸)

尚円しょうえん(=金丸かなまる)…1470年~1476年

金丸(=尚円)は伊是名島出身で先の王尚泰久(第一尚氏・6代目)に仕えていた。

玉陵
王家の墓所で、はじめは尚円の遺骨が安置されていたが、のちに歴代の国王や王族が葬られた。

天久宮(琉球八社)
琉球八社のひとつ天久宮は創建が1465年~1487年頃とあり、天久宮の由緒の中に尚円・尚宣威・尚真の名がある。

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琉球八社のひとつ「天久宮」へ行ってきた

2代目:尚宣威

尚宣威しょうせんい…1477年

尚宣威は、最高神女・聞得大君の抵抗に遭いすぐに王位を退いた。

天久宮(琉球八社)
琉球八社のひとつ天久宮は創建が1465年~1487年頃とあり、天久宮の由緒の中に尚円・尚宣威・尚真の名がある。

3代目:尚真

尚真しょうしん…1477年~1526年

那覇市に世界遺産となっている「玉陵」という史跡があるが、それは第二尚氏王統歴代の墓所である。
玉陵は、尚真が父「尚円」の遺骨を安置するために創建したといわれていて、のちは歴代の国王や王族が葬られた。
ただし、例外もあるようで「尚寧」は自らの意思で「浦添ようどれ」に葬られることを希望したという。

天久宮(琉球八社)
琉球八社のひとつ天久宮は創建が1465年~1487年頃とあり、天久宮の由緒の中に尚円・尚宣威・尚真の名がある。

4代目:尚清

尚清しょう★★…1527年~1555年

5代目:尚元

尚元しょう★★…1556年~1572年

6代目:尚永

尚永しょう★★…1573年~1588年

7代目:尚寧

尚寧しょうねい…1589年~1620年

浦添ようどれ(浦添市)
琉球王に関連するお墓。
右側…英祖王(英祖王統)の墓、左側…尚寧の墓とその一族が眠っているといわれている。

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8代目:尚豊

尚豊しょう★★…1621年~1640年

9代目:尚賢

尚賢しょう★★…1641年~1647年

10代目:尚質

尚質しょう★★…1648年~1668年

11代目:尚貞

尚貞しょう★★…1669年~1709年

12代目:尚益

尚益しょう★★…1710年~1712年

13代目:尚敬

尚敬しょう★★…1713年~1751年

14代目:尚穆

尚穆しょう★★…1752年~1794年

15代目:尚温

尚温しょう★★…1795年~1802年

16代目:尚成

尚成しょう★★…1803年

17代目:尚灝

尚灝しょう★★…1804年~1834年

18代目:尚育

尚育しょう★★…1835年~1847年

19代目:尚泰

尚泰しょうたい…1848年~1879年

尚泰は琉球の最後の国王。
琉球藩の設置=琉球藩王に任命される

 


上記は見聞した伝承をまとめています。
いろんな伝承があるため、正誤が不明な部分もあります。

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【十二支めぐり】達磨寺(那覇市)

達磨寺の名で親しまれている西来院

西来院
達磨寺(沖縄県那覇市)

西来院さいらいいんは「達磨寺」で親しまれている。

達磨寺は少し変わっていて境内には稲荷社が鎮座していた。

稲荷社には朱色の並んだ鳥居もあって、沖縄ではあまり見ないものかもしれない。

こちらのお寺も参拝者がいて、ほかの首里四寺のように人気があった。

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第一尚氏王統【琉球王】

第一尚氏王統(7代)

第一尚氏王統は7代続いている。
王に関連する伝承や史跡などをまとめてみた。

琉球王にまつわることは、第一尚氏王統から史料が多くなっている。でも伝承に近い部分があるので、あくまでも参考程度にしてほしい。

6つに分かれる琉球王統

天孫氏王統

舜天王統

英祖王統

察度王統

第一尚氏王統

第二尚氏王統

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01 尚思紹

02 尚巴志

03 尚忠

04 尚思達

05 尚金福

06 尚泰久

07 尚徳

1代目:尚思紹

尚思紹しょうししょう…1405年~1421年

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

佐敷ようどれ(南城市)
尚思紹の墓で王と家族が眠っていると伝わる。

2代目:尚巴志

尚巴志しょうはし…1422年~1439年

尚巴志は佐敷按司だったと伝わる。

尚巴志は三山時代の人物で、今帰仁グスクの北山王・攀安知はんあんち、島尻大里グスクの南山王・他魯毎たるみを滅ぼし、最終的に琉球を統一し、父・尚思紹を王座につかせた。

尚巴志の第4子に布里ふりという者がいるが、琉球の歴史で有名な『志魯・布里の乱』にかかわっている。王権を争っていたがともに死亡している。

今帰仁グスク(=今帰仁城跡、北山城)
沖縄本島にある世界遺産のひとつ。

護佐丸
護佐丸ごさまるは中城の按司で、尚巴志の娘を妻に迎えるという王府と関わりのある人物。
6代目尚泰久は、越来城主時代に護佐丸の娘を妻に迎えている。
また、護佐丸は名築城家といわれていて、座喜味グスク(=座喜味城跡)や中城グスク(=中城城跡)を築城している。

尚布里の墓(南城市)
尚布里は、2代目尚巴志の六男。

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

場天御嶽(南城市)
尚巴志の祖父・佐銘川大主(伊平屋出身)関連の場所といわれている。

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3代目:尚忠

尚忠しょうちゅう…1440年~1444年?

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

4代目:尚思達

尚思達しょうしたつ…1445年?~1449年

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

5代目:尚金福

尚金福しょうきんぷく…1450年~1453年

尚金福の子に志魯しろという者がいるが、琉球の歴史で有名な『志魯・布里の乱』にかかわっている。王権を争っていたがともに死亡している。

志魯・布里の乱
尚金福の死後、尚金福の子「志魯」と尚巴志の子「布里」が王位を争う。
首里城が焼失するなど大きな戦いとなったが、両者とも死亡し、尚巴志の子「尚泰久」が王となった。

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

6代目:尚泰久

尚泰久しょうたいきゅう…1454年~1460年(在位7年)

琉球王
「尚泰久王・安次富加名巴志の墓」にあった系図

尚泰久は2代目尚巴志の子。

尚泰久は首里城周辺の整備なども行い、金丸(のちの尚円王)を貿易と財政の重要なポストに登用した(御物城おものぐすく御鎖之側うさしぬすばの役)。

護佐丸
尚泰久は越来城主時代に護佐丸ごさまるの娘を妻に迎えており、護佐丸は養父にあたるため政治に影響を及ぼしたといわれている。
護佐丸は尚泰久の時代、本島中部の東海岸あたりを支配者として君臨していたという。

護佐丸の墓(中城村)
中城城跡の近くにある。

阿麻和利
阿麻和利あまわりは、尚泰久の時代に勝連半島(うるま市)の勝連グスクを拠点に勢力を誇っていた按司。
尚泰久の娘(百度踏揚)を妻に迎えている。
「護佐丸・阿麻和利の乱」の伝承では極悪人のようになっている阿麻和利だが、勝連では名君だったという説もある不思議な人物。

護佐丸・阿麻和利の乱
諸説あるが、阿麻和利が護佐丸が謀反を企てていると尚泰久をだまして護佐丸を討伐する。続けて阿麻和利は王座を狙おうとしたが、妻の百度踏揚と付き人・鬼大城に知られて失敗に終わり、阿麻和利は王軍に滅ぼされると伝わっていることが多い。

尚泰久王・安次富加名巴志の墓(南城市)
岩の下を利用したお墓となっている。

安次富加名巴志
尚泰久の長男。

百十踏揚の墓(南城市)
百十踏揚ももとふみあがりは、尚泰久の長女で阿麻和利の妻となる。
阿麻和利亡き後は付き人だった大城賢雄(鬼大城)の妻となるも、大城賢雄が尚円王(第二尚氏)に滅ぼされた後は、弟である三津葉多武喜の元へ身を寄せたらしい。

鬼大城の墓(沖縄市)
大城オオグスク賢雄けんゆう(=鬼大城)は阿麻和利亡き後、百十踏揚を妻に迎えた人物。
沖縄市にある知花城跡に「鬼大城の墓」と伝わる墓が建てられている。

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

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グスクの形状が美しい勝連城跡(うるま市)

7代目:尚徳

尚徳しょうとく…1461年~1469年

尚徳は6代目尚泰久の第3子。

尚徳は29歳で死亡。王位承継をめぐって首里城内で話し合いが行なわれ、金丸(のちの尚円)が王位に就いた。

積極的に貿易を行なったりしたが、尚徳は暴君だったようで不満から政情不安が高まり、王位承継をめぐり首里城内で話し合いがあり、その結果、金丸が王位についた。
尚徳の死については、失意のうちに病死したという説や毒殺されたのではという説もある。

尚徳王は喜界島攻略後、凱旋報告のため久高島を訪れたという。
島の女性としばらく同棲していたが、その間に首里城では革命が起こり、尚徳は急いで舟に乗り帰路につくが、途中で金丸(=尚円王)が王位についたと聞き、海へ身を投げたという伝承もある。

大里家(南城市・久高島)
尚徳と久高島の女性が同棲していた場所と伝わる。

安里八幡宮(那覇市)
1466年に尚徳王により創建された。

佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。

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琉球八社のひとつ「安里八幡宮」(那覇市)


上記は見聞した伝承をまとめています。
いろんな伝承があるため、正誤が不明な部分もあります。

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【十二支めぐり】安國寺(那覇市)

首里四寺のひとつ「安國禅寺」

安國寺
安國寺(沖縄県那覇市)

沖縄では七福神めぐりよりも「十二支めぐり」のほうが知られている。

数字は「十二」となっているが、めぐる場所は4か所だけ。ここでは安國寺を取り上げている。

県道50号線、首里高校の向かい側にあたる場所に安國寺はある。

龍が彫られた見事な門に、鐘も見えているので寺を探すときの目印になる。

門のすぐ横に寺の専用駐車場があり、広めのスペースがあるから車で訪れる人にはありがたい設備だ。

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【十二支めぐり】首里観音堂(那覇市)

琉球時代から信仰が厚い首里の四寺「首里観音堂」

首里観音堂
首里観音堂~慈眼院~(沖縄県那覇市)

年始に行われる「七福神めぐり」を知っているだろうか。

七福神めぐりは、福や徳などをもたらすといわれている七福神が祀られている寺社をめぐるというものだ。

沖縄ではこの七福神めぐりと似たような「首里十二支めぐり」というものがある。

こちらは七福神ではなく、干支をめぐるもので今でも地域には根付いている。

「十二支」なので12もめぐるのか!? と思った人はご安心を。

12か所ではなく4か所で、それぞれ那覇市にある寺で訪れやすい。

今回は四寺のひとつ「首里観音堂」を紹介する。

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