琉球八社のひとつ「天久宮」へ行ってきた
天久宮は国際通りから離れた泊港の近くにあり、学校の裏手に社があるため目印となって探しやすい。
到着すると鳥居と駐車場しかない光景に驚くかもしれないが、社自体は階段を下りた部分に鎮座している。
天久宮のようす
天久宮は琉球時代に創建された神社で、沖縄の歴史書『琉球国由来記』や『琉球神道記』などに記述がある由緒正しい神社だ。
神社へは狛犬というよりシーサーに見える神獣が守る階段を下りて行くと、境内につながっている。
平日に天久宮を訪れたのだが、社務所は無人で境内も人の気配はなく静まり返っていた。
参拝をすませて境内を散策してみると、天久宮には御嶽が点在していた。
鳥居の近くにあった案内板の「由緒」で紹介していた伝承に関連する拝所だと思う。
天久宮由緒
お宮の創建は成化年間と伝へられる。(尚円、尚宣威、尚真王時代、西暦一四六五~一四八七)
往古、銘苅村に銘苅の翁子が閑居していた。或るとき、夕陽の没する頃、天久野に威儀を正した法師を従へた気高い女人が山上より下って来るのに出会った。中腹には小洞窟があり、井戸から水が湧き出て流れている。翁子が法師に女人が何人なのかを尋ねると、法師曰く、自分は山の中腹に住んでいるが、女人は山上の森に住む者で名前は分からないと答へた。翁子は不思議に思ひ気をつけていた。あるとき、女人が洞窟に入る時に、中途で消ゆるを見る。翁子は驚き、事の次第を王の臣下に伝へた。伝へ聞いた時の王は虚実を試さんと役人に命じて、洞窟に向って香を供へたところ、それが自然に燃えたので、外に社殿を造営して祭った。時に神託あり我は熊野権現なり、衆生の利益の為に現はれたり。
かの女人は國家の守護神なり、弁財天であるとの神託があった。又かの翁子も唯人ならず。
衆生は神変の加護によりて妄念を解くことができるようと、神徳を重んじ國家安全、萬民豊楽の基のため、社殿を建立して祭ったといふ。
昭和十九年の十・十空襲の折に社殿を消失、戦後は御嶽形式により奉祀。
昭和四十七年旧二月二十二日本殿を建立、奉鎮祭斎行。本土復帰の昭和四十七年五月十五日宗教法人となる、同日神社本庁に包括され、現在に至り昔の素晴らしい社殿の復興と向後の発展を期せむとす。
那覇市泊三丁目一九番地の三/天久宮社務所
案内板は二つあり、もう一つには御祭神を紹介していた。
御祭神(抜粋)
天龍大御神 天久臣之姫大神
泊龍宮神 弁天負泰彦大神 弁財天
熊野三神 伊弉冊尊 速玉男尊 事解男尊
例祭日…五月十五日(旧四月五日)
月次祭…毎月旧暦一日、十五日
◇
天久宮はとても静かな神社だった。
無人だったので詳細を聞くことができなかったが、とても気になる神社だったので次に参拝するときは詳細を聞いてみるつもりだ。
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天久宮周辺のMAP
天久宮
(所在地 沖縄県那覇市泊3-19-3)
■天久宮までの距離(車の場合)
・那覇市役所…約 2.34km(05分)
・那覇空港…約 6.62km(14分)
観光情報についての参考サイト
■NAHANAVI
那覇市観光協会
■那覇市
公式サイト