2020/03/01 記事内に誤りがありましたので削除・修正しました
【削除・修正した内容】
・日秀洞に関する記述
・日秀洞ではない場所を誤って日秀洞と紹介していたため
すでに記事を参考にした方々、勘違いの内容で混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。
琉球八社のひとつ「金武宮」
「安里八幡宮」「天久宮」「沖宮」「金武宮」「識名宮」「末吉宮」「波上宮」「普天間宮」を琉球八社という。
琉球八社は琉球王府の庇護があったこともあり、沖縄県内でも知られていて参拝者も多い。
この記事では「金武宮」を紹介している。

金武観音寺は、一度全焼したことがあり再び建築されている。
しかし、沖縄戦の戦火では焼失しなかった貴重な木造建造物で、赤瓦屋敷の沖縄らしいたたずまいに魅力がある。
金武観音寺
観音寺の由来は、かなりハッキリしている。
和歌山県の高野山出身である日秀上人が、ひょんなことから琉球へ漂着した。
日秀上人は、琉球でしばらく過ごすことになるが、その間、金武観音寺を建て、仏像を彫っておさめたり、仏教の布教を行ったりしたという。
「日秀」は、沖縄で社寺を建立するなど、琉球時代の有名な上人で、琉球の古い書物にも登場する。
しかも、妖怪を退治したという伝説が沖縄の各地に残っていたりするから興味深い。

金武観音寺には、樹齢が300年以上あるといわれているフクギがある。

木造の建物は落ち着いた感じで和んでしまう。
金武宮【琉球八社】
金武観音寺の境内には鍾乳洞もある。
この鍾乳洞「日秀洞」は、むかしは大蛇が棲んでいたという伝説もある不思議な場所だ。
妖怪退治に関する伝説も残っていて、鍾乳洞に棲んでいた大蛇は、村人を困らせていたので、日秀上人が退治したという。
また戦時中は避難場所となり、多くの人たちを救ったという。
むかしの金武観音寺の写真

上の写真は、わが家のアルバムにスクラップされていた1970年頃の金武観音寺。
現在よりも境内が広いようだ。
下の写真は、2009年の金武観音寺。

「日秀」とは?
日秀上人は、金武観音寺や金武宮を建てたことや、仏教を広めたことで知られている。
興味深いのは、沖縄のあちこちで妖怪退治をしたという伝説が残っていること。
不思議な話を残しているあたりが沖縄らしくて面白い。
また、琉球のことが書かれた書物『琉球国由来記』や『球陽』に、日秀上人の記述があるらしい。
金武観音寺にあった説明板の内容
当観音寺は、十六世紀に日秀上人によって創建されたが現存する観音寺は、昭和十七年に再建されたものであり、建築手法は近世社寺の手法が取り入れられている。
沖縄県下の社寺建築の多くは今次大戦で焼失したが、幸い当観音寺は戦災を免れて今日に至っており、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築である。
当観音寺は、昭和五十九年六月一日、有形文化財(建造物)に指定された。
金武町教育委員会
金武観音寺のフクギの説明板の内容
金武町指定文化財 金武観音寺のフクギ(オトキリソウ科)
フクギは推定樹齢約三五○年、胸高円周二・八メートル樹高十二メートルを有し、沖縄本島各地のフクギのなかでも希少な巨木と云われている。
常緑の高木で風や潮害に強く、屋敷林として昔から沖縄各地で広く利用された樹種である。
観音寺のフクギは数年代の歳月を積み、強く根を張りどっしりとそびえ立つその樹影に寺社の長い歴史を見守り寺社の景観を創り、町民に愛郷の心を育む先人よりの遺産として親しまれている巨木である。
金武町教育委員会
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入手した金武観音寺のリーフレット

金武観音寺の周辺MAP
観音寺の近くにはカフェがある。
名物といわれている饅頭があったりするので、時間があると寄ってみるといいかも。
金武観音寺
(所在地 沖縄県国頭郡金武町金武222)
■金武観音寺までの距離(車の場合)
・金武町役場(金武町字金武1)…約 0.49km(01分)
・沖縄県庁(那覇市泉崎1-2-2)…約 46.92km(1時間30分)
・那覇空港(那覇市字鏡水150)…約 49.96km(1時間37分)
観光情報についての参考サイト
■visitkintown|金武町公式観光情報
https://www.visitkintown.jp/
■金武町 公式サイト
https://www.town.kin.okinawa.jp/
■おきなわ物語
https://www.okinawastory.jp/
→沖縄観光情報WEBサイト
追記
|2023/02|リンク修正済み
