漲水御嶽と石垣(宮古島市)
宮古神社へ行く道すがら偶然見つけたが、沖縄本島にある御嶽と雰囲気が似ていたので、もしかしたら御嶽かもと思って足を止めた。
近くにあった説明板を読んでみて御嶽と確認ができたので参拝した。
漲水御嶽のようす
漲水御嶽は神社へ参拝へ行く途中、偶然見つけた。
沖縄本島にある御嶽と比べるとかなり立派で、入口には燈籠が立ち、拝殿があって石垣内には神社だと境内にあたるような小さな広場もあった。
石門から入るとすぐに拝殿があり奥には本殿も見えた。
御嶽は穏やかな空間となっていて猫が数匹のんびりと寝ていた。
調べてみたら、漲水御嶽は島の創造神を祀っていること以外に「人蛇婚説話」にまつわる伝説もあった。
伝説は――
むかし、村娘がある男と密会して子を懐妊した。男は毎夜娘のもとを去っていくので、不思議に思った娘はある夜男の髪に針を通し、伸びた糸をたどっていった。男は漲水御嶽の洞穴へと入り、そこで大蛇の姿に戻った。娘は男が島の創造神の化身であることを知った。やがて娘は子を生み、その子を漲水御嶽へ連れて行くと大蛇が迎え入れ、子は姿を消して島の守護神になったという。
◇
ヘビが関連する伝説には二種類あり、ひとつは神様または神の使いとして神聖な存在となっている場合と、もうひとつは悪さをして退治されるという邪な存在となっていることもある。
沖縄本島では悪さをしたヘビの民話が多かったので宮古島の伝承は新鮮だった。
漲水御嶽はきれいに整備されていて地元の人たちの信仰があついことが伝わってくる拝所だった。
漲水石畳道
漲水御嶽で挨拶をした後そのまま宮古神社へ向かった。
御嶽から神社へ行く途中に「漲水石畳道」があり、宮古島市の指定史跡となっている。
漲水石畳道はかつては長く伸びた石畳道だったというから、むかしは風情があったと思う。
漲水石畳道に設置されていた説明板には次のように書かれていた。
漲水石畳道 市指定史跡
18世紀始め、宮古島の治山・土木工事が精力的に進められていた頃、各村の道路幅は2間半(4.5m)に拡張、改修、新設されたと伝えられています。
1696(元禄9)年の大地震後、石畳道も2間半に拡張され、治山事業で豊富に得られた石を敷きつめたものと考えられています。廃藩置県後もほぼ完全に残っていましたが、1921(大正10)年の平良港築港、1942(昭和17)年の宮古神社移転にともなう工事、第二次世界大戦、戦後の拡張工事などで損傷し、現在は約3分の1を残すのみとなっています。 宮古島市教育委員会
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沖縄本島と同様に宮古島の中心地も開発が進んでいて、ほかの町とさほど変わりないところが多かったが、御嶽周辺は島独特の雰囲気が残っていてよかった。
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ドライブ中に車道でネコを見かけることはなかったが漲水御嶽では数匹ネコを見た。
どのネコもくつろいでいて御嶽がネコの休息地となっているようだった。
漲水御嶽周辺のMAP
漲水御嶽と石垣
(所在地 沖縄県宮古島市平良字西里8)
■漲水御嶽までの距離(車の場合)
・宮古島市役所…約
・宮古空港…約 5.57km(13分)
観光情報についての参考サイト
■宮古島Style
宮古島市が運営する観光サイト
■宮古島市
公式サイト