占い師なの?沖縄の「ノロ」ってなに?【沖縄の民俗学】

~琉球おきなわ民俗(わが家での場合)~

沖縄の「ユタ」のことを知っている人は多い。

ユタのことを知った経緯はさまざまだと思うが、以前、全国的に占いが流行っていた時期があり、テレビで特集された番組があった。

そのときに、出演していた占い師のなかに、沖縄出身のユタの方が数名いたりしたので、「ユタ」が有名になったキッカケはテレビ番組の影響が大きいと思う。

その一方で、「ノロ」を知っている人は少ないのではないだろうか。

そこで、琉球時代に祭祀を司り、畏敬されたノロについて紹介していく。

ノロは、祝女・神人・奴留とも呼ばれる巫女

ノロ
琉球時代のノロのイメージ

※ イラスト内の画像「国立国会図書館ウェブサイト」より。

ノロとは?

「ノロ」は、琉球王朝時代に王府から任命された神女。

ノロの呼び方・書き方はいろいろあるようで、「ノロ」「神人(=カミンチュ)」「祝女」「奴留」と書かれている書物もあった。

歴史の流れからみると、沖縄ではもともと女性が祭祀ごとを主宰している。

「琉球神話」によると、女性は男兄弟を守る神で、強い力(霊力)を持っていると考えられていて、政治は男性、祭祀は女性と役割分担していた。

これが琉球時代になると、王府が組織化を行なって、村(間切りなどの行政単位)の祭祀を行う者、つまり「ノロ」を任命するという形になった。

神職の組織は「聞得大君」をトップとしたもので、その下にたくさんのノロがいたという。

ノロは、王府から辞令を受けた地へ行き、その地の祭祀を主宰した(辞令地はノロの生まれた村だという)。

琉球王府が終了し、沖縄県となっている現在、ノロは公職ではないが、いまでもノロが祭祀を主宰している地域もあり、伝統が続いているところもある。


ノロについてだが、現在は公職となっていないためか、あまり知られていなくて、私自身も調べてみるまで全然知らなかった。

むかしは村の祭祀を担当した公務員的な存在だったが、人が流動化して地域交流が減ったからなのか、それとも継承するノロがいなくなったのかは不明だが、ノロを知らない人が多いように思える。

また「ノロ=ユタ」と、ノロとユタは同じことだと思っている人も多いようだが、沖縄の民俗本などを読んだり、史料を調べると、ノロとユタは区別している。

ノロの三種の神器と辞令書

御嶽とカミンチュ
沖縄県立博物館「御嶽とカミンチュ」
琉球王府はノロを任命する際に、辞令書とともに「勾玉」「神扇」「かんざし」をわたした。

この「勾玉」「神扇」「かんざし」は、「ノロの三種の神器」といわれ、ノロを継承される時に受け継がれていった地域もあるという。

また、ノロは「神衣装」と呼ばれている白い衣装を着てムラの祭祀を主宰したという。


沖縄では、沖縄戦のため貴重な史料のほとんどが焼失している。

そのため口伝などでしか残っていないものが多かったりするが、なかには大切に保管され、戦火をくぐりぬけ残ったものもある。

現存する史料は少ないが、市町村内にある民俗資料館などに「ノロの三種の神器」が保存・展示されていたり、沖縄県立博物館ではカミンチュが祭事を行っている様子を再現しているコーナーもあったりするので、興味があれば訪れてみるといいかも。