世界遺産 首里城へ行ってきた
世界遺産に登録された
国内外から旅行者がやってくるため、いつ行ってもにぎわっている人気のスポットだ。
以前は夜の首里城を紹介したが、この記事では日中の首里城公園内を紹介しながら手持ちの写真で今昔を比べてみることにした。
首里城のようす
首里城公園は無料エリアと有料エリアがあるが、今回は無料エリアの一部を回ってみた。
歓会門
沖縄県内にはたくさんのグスクがあるが、ほとんどが石垣しか残っていないので、当時の様子をイメージするのは難しい。
しかし、首里城は琉球時代の城をできる限り再現しているため、ほかのグスクを訪れるときの参考になるから便利だ。
瑞泉門
歓会門から進んでいくと
瑞泉門は階段を上る位置にあるため、見上げる形となって青空と映える場所となっている。
そのため撮影スポットとなっているようで人だかりができていた。
龍樋
瑞泉門の近くに
むかしは水道がなかったので、水はとても貴重な存在だが、龍樋は王族の飲料水として使われていたという。
龍の口から湧き出る水は澄んだきれいな水だった。
寒水川樋川
龍樋から少し離れた場所に
説明板には次のように書かれていた。
寒水川樋川
瑞泉門前の龍樋とならんで首里城内の貴重な水源でした。生活用水のほかに防火用水としても利用されたといわれています。
あふれ出た水は地中のみぞを通り、久慶門の外側の左右から再び地中に入り、門の向かい側にある円鑑池に抜けました。円鑑池が満水になるとさらに龍潭に注ぎました。このことから首里城の排水処理の一端を知ることができます。
説明を読んでむかしの人たちの知恵には驚いたが、現在の寒水川樋川の湧き水は止まっていたので少し残念だった。
下之御庭と奉神門
下之御庭では定期的に琉球舞踊があり、無料で観覧できるので、興味があるなら訪れる前に演舞の情報を入手しておいたほうがいい。
下之御庭には石垣で囲まれた首里森御嶽があるが、御嶽の前で6~10名くらいのグループを一人のガイドさんが案内している場面を数回見かけた。
どうやら歴史を学びながら首里城めぐりを楽しんでいるようだった。
首里城内にはリーフレットなどには書かれていない名所や御嶽などがたくさんあると聞いたことがある。
リーフレットには載っていないことをツアーで学べるのなら利用すると充実した旅行になるかもしれない。
正殿(2002年)
奉神門から先は有料エリアとなっている。
今回は行かなかったが奉神門をくぐると御庭が広がっていて、その先に正殿がある。
正殿内は見学できるようになっていて琉球独特の建築を堪能できる。
首里城は朱色を基調していて派手めなグスクだ。
そこへ目が行ってしまい見落としがちになるが、ところどころにある石彫の動物たちが実はとてもユニーク。
石獅子は表情やポーズなどがそれぞれ違うため、いろいろ探してみると面白い獅子に出会えるかも。
首里城からみた景色
西のアザナは展望台となっていて、ここから街並みを見ることができる。
首里城は高台にあるので那覇市だけでなく、かなり遠くまで見渡すことが可能だ。
西のアザナは夜景のスポットとして人気がある。
首里城は夜になるとライトアップされ、わりと遅い時間まで開園しているので、時間が余裕がある場合は夜の首里城へ寄ってみるといいかも。
関連する記事
守礼門
首里城へ行く場合は、はじめに守礼門を通って歓会門へと行く。
守礼門は形状が美しく、観光雑誌やPRなどでよく見かけ、日本の紙幣・二千円札のデザインにもなっている有名な場所だ。
2002年の守礼門
首里城は何度か訪れたことがあるので、今昔を比較することが可能だ。
上の写真と2002年の写真を比べると月日の経過がよくわかる。
散策していると首里城内のあちこちで工事をしていたが、修繕の時期になっているのかもしれない。
1970年頃の守礼門
わが家のアルバムには、1970年頃の首里城関連のスクラップがいくつかあったのでお披露目。
写っている構図から海(西の方向)を見ている写真のようだ。
円覚寺跡
首里城の城壁の外側に円覚寺跡はあるが、建物のほとんどが戦争によって焼失し、現在見られる総門や放生橋などは復元・修復したものである。
総門の近くに説明板があり、次のように紹介されていた。
円覚寺跡 国指定史跡/昭和47年5月15日指定
円覚寺は琉球における臨済宗の総本山で、山号を天徳山と称した。第二尚氏王統の菩提寺であり、琉球随一の寺院であった。
尚真王が父王尚円を祀るため、1492年から3年がかりで建立したと伝えられる。開山住持は京都南禅寺の芥隠禅師である。建築の手法は、鎌倉の円覚寺にならった禅宗七堂伽藍の形式を備えており、寺域は約3560㎡であった。伽藍は西面し、前面中央に総門を開き、その左右に掖門を備えていた。総門を入ると放生池があり、放生橋、山門、仏殿、龍淵殿が一線上に配置されていた。
昭和8年に円覚寺伽藍として国宝に指定され、総門前庭の円鑑池やハンタン山の緑に映えて荘厳な寺院であったが、去る大戦でほとんど破壊された。
現在の総門(県指定有形文化財)と左右の掖門は昭和43年に復元されたものである。放生橋(重要文化財)は昭和42年に修復された。橋の勾爛羽目の彫刻は精緻を極め、沖縄の石彫美術の最高傑作であるといわれている。
沖縄県教育委員会
説明板には当時の円覚寺の配置も紹介されていた。
現在見ることができる総門は右上の写真の黄緑色部分にあたり、オレンジ色部分が放生池と放生橋になっている。
2002年の円覚寺総門と訪生橋
公園内は定期的に整備されているはずだが、植物の繁茂が気になる。
沖縄の植物は生長が早いから、建築物を傷めないか心配だ。
弁財天堂と円鑑池
弁財天堂や橋も戦争によって焼失したので、現在の建築物は復元・修復したものとなっている。
近くに説明板があり、次のように紹介されていた。
天女橋 1972(昭和47)年5月15日/国指定建造物
15世紀末に朝鮮王から贈られたお経「方冊蔵経(高麗版大蔵経)」を納めるため1502年円鑑池の中にお堂が設けられました
そこへ至る橋が天女橋で当初は観蓮橋と呼ばれました
1609年薩摩の琉球入りでお堂は破壊され方冊蔵経は失われました
1621年に至って新たにお堂を建て弁財天像をまつり以後弁財天堂と呼ばれ橋も天女橋と呼ばれるようになりました
天女橋は中国南部にある橋に似た琉球石灰岩を用いたアーチ橋で全長9.75m 幅2.42m 欄干は細粒砂岩でつくられています
1945年沖縄戦で弁財天堂は破壊され天女橋も大破
1968年弁財天堂は復元され翌年天女橋も修復されました
沖縄県教育委員会/那覇市教育委員会
2002年の弁財天堂と円鑑池
あまり変わらないように見えるが、左下のガジュマルの生長には驚く。
2002年は若木だったのに現在だと貫禄のある木となっている。
1970年頃の円鑑池と天女橋
さらにさかのぼって1970年頃だと、弁財天堂は建てたばかりなのか新しく見える。
龍潭
パッと見だと浅い池のように見えるが、琉球時代は舟遊びもしたというから深い部分があるのかもしれない。
2002年の龍潭
龍潭はあまり変化が見られない気がする。
1970年頃の龍潭のようす
戦後しばらくの間、首里城の敷地には琉球大学があった。
手前の池が龍潭で後ろに見える建物はかつての琉球大学となっている。
◇
那覇市内から首里城を見ると、建物が密集する街中に建つ巨大なグスクは少し異様な景色に映るが、琉球王国のシンボルとなっていて見事だ。
完成しているように見える首里城だが未完のグスクで、現在も琉球時代のグスクを復元する作業を進めている。
長期戦の復元・修復作業になっているが、完全な姿の首里城がどのようなカタチで現れるのかこれからが楽しみだ。
【おまけ】首里城公園バードウォッチング
首里城内で見つけた野鳥たちを紹介。
バリケン
弁財天堂の近くで妙な鳥に会った。
野生にしてはごついし、白黒の色は保護色になってない…
不思議な鳥に遭遇したと思いながら調べてみると、バリケンというカモ科の鳥だった。
もともとは食用として持ち込まれたが逃げ出して野生化しているらしい。
近くを通っても逃げなかったので人馴れしているようだ。
イソヒヨドリ
イソヒヨドリは特徴のある鳥だったのですぐに調べることができた。
オスとメスで体色が異なり、オスは青×オレンジと派手。
イソヒヨドリはあちこちで見かけた鳥で、きれいな声でさえずっていた。
ヒヨドリ
ほっぺた部分がオレンジなのでおそらくヒヨドリ。
木々の間を飛び回っていた。
入手した首里城公園リーフレット
今回訪れたときに入手したリーフレットは赤を基調としたものだった。
どうやらデザインが変わったようだ。
【こぼれ話】近くにある世界遺産
首里城公園内には
どちらも世界遺産に登録されているので、首里城とセットで訪れたほうがいい。
関連する記事
首里城公園周辺のMAP
首里城公園
(所在地 沖縄県那覇市首里金城町1-2)
■首里城公園までの距離(徒歩の場合)
・首里駅…約 1.22km(15分)
■首里城公園までの距離(車の場合)
・那覇市役所…約 4.4km(55分)
・那覇空港…約 8.82km(1時間50分)
・沖縄県庁…約 4.34km(54分)
観光情報についての参考サイト
■首里城公園
公式サイト
■那覇ナビ
那覇市観光協会の公式サイト
■那覇市
公式サイト