首里金城町石畳道
金城町石畳道は首里城公園の近くにある情緒ある道だ。
石が敷き詰められた坂道は琉球時代と比べると短くなっていて、さきの戦争で破壊されたが修復されて現在のようになっている。
ここは琉球の歴史を感じることができる場所なので散策するのにおすすめだ。
首里金城町石畳道のようす
首里城公園方面から散策スタートし石畳道を歩いてみた。
住宅地のなかにある石畳道はここだけ琉球時代を偲ばせる空気があり、むかしは生活用水として利用していた湧水や拝所、学校跡などが修復されて残っている。
道にはところどころに地図が描かれた石碑が設置されていたので参考にしながら散策した。
首里金城の大アカギ
石畳道の途中に大アカギがある。
戦争で焼け野原になったので沖縄には古いものはあまり残っていないが、戦災を免れてきたアカギは貫禄があった。
大アカギ周辺は少し空間があり説明板が設置されていた。
説明板を見て知ったことだが、むかしからの拝所にもなっているようで御嶽もあった。
大アカギについての説明板には次のようなことが書かれていた。
首里金城の大アカギ
内金城嶽境内には推定樹齢200年以上と思われるアカギ(学名:Bischofia javanica Blume)の大木が6本生育しています。樹高は約20mで、樹幹にはホウビカンジュ・ハブカズラ・シマオオタニワタリ・クワズイモ・ハマイヌビワなどが着生しています。
アカギは琉球列島・熱帯アジア・ポリネシア・オーストラリアなどに分布するトウダイグサ科の樹木です。沖縄県内では普通に見られる樹木ですが、このような大木群が人里にみられるのは内金城嶽境内だけです。第二次大戦前までは首里城内及び城外周辺にもこのようなアカギの大木が生育していましたが、戦争でほとんど消失してしまいました。
1972(昭和47)年5月15日 国指定天然記念物
沖縄県教育委員会/那覇市教育委員会
金城村学校所跡
石畳道を歩いていて、ひときわ目立ったのが赤瓦の木造屋敷とガジュマル。
ガジュマルが日陰をつくっていたため、強い日差しを避けて休憩ができて助かった。
屋敷は学校所跡で説明板には次のように紹介されていた。
金城村学校所跡 那覇市首里金城町1-21
琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。
村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村ごとに建てられた。士族の子弟は7~8才で入学し、元服する14~15才まで、「三字経」の読み書きから、「論語」・「孟子」などの四書を学んだ。
金城村学校所は1835年創立といわれ、「訓蒙館」と名付けられた。王国末期には136人の生徒が在学した。学校所には「中取」・「筆者」といった王府役人も詰め、村の風俗・衛生を取り締まるなど、役所の機能も有した。
1879年(明治12)の琉球処分後は、学校所は廃止され村の共有地となったが、その後個人に払い下げられた。
首里金城町石畳道で見かけたもの
周囲を観察しながら石畳道を散策していると、いろんなものが目に入ってきた。
沖縄独特ともいえる屋根シーサーが家を守護している姿は有名だ。
独特の表情をしているシーサーが多いので、いろいろ探してみるといいかも。
キレイな花を見かけた。
ムラサキ色の花はたぶんモミジヒルガオ、白い花は月桃だ。
月桃は加工されてアロマオイルや香料関連の商品となっているものがあるが、虫よけ効果もあるので、むかしから家庭で重宝されている。
縄張りをパトロール中と思われる町ネコも見かけた。
平日の午前中だったので石畳道を行き交う人は少なくのんびりとした時間が流れていた。
金城橋
石畳道を下り終えると、道路を挟んだ向こう側に川があり橋が架かっていた。
小さな橋は「金城橋」で琉球時代の彫り物を見ることができる。
現在の橋は戦争で破壊されてしまったので現在の橋は修復されてものとなっている。
◇
今回は首里城公園近くの入口から石畳道に入り、時間がなかったのであまり脇道にそれずに散策した。
そのため少ししか名所を探すことができなかったが、首里金城町石畳道にはたくさん見どころがあるようなので、次は別の道を散策してみるつもりだ。
首里金城町石畳道周辺のMAP
首里金城町石畳道
(所在地 沖縄県那覇市首里金城町2-35)
■首里金城町石畳道までの距離(徒歩の場合)
・ゆいレール「首里駅」…約 1.21km(15分)
■首里金城町石畳道までの距離(車の場合)
・那覇市役所…約 4.12km(11分)
・那覇空港…約 9.88km(22分)
※近くに駐車場はないようなので首里城公園の駐車場を利用した
観光情報についての参考サイト
■NAHANAVI
那覇市観光協会
■那覇市
公式サイト