琉球の歴史を感じさせる金城橋(那覇市)

金城橋と識名平

金城橋と識名平
金城橋と識名平(沖縄県那覇市)

沖縄戦で琉球時代の面影がある場所はほとんどなくなったが、少しだけ残っているところもある。

首里にある金城町石畳道は有名で、狭い道を歩いてみると、コンクリートや車など技術がない時代を想像して思いをはせることができる。

首里城公園から石畳道に入って、そのまま道を下っていくと車が往来する道に突き当たり、道路を渡った先に小さな橋があるのだがあまり目立たない。

目立たない橋は「金城橋」というが、近くにある案内板を見て琉球の歴史が刻まれていることを知った。

金城橋よりも怪談を知っていた

金城橋と識名平
金城橋のシーサー(沖縄県那覇市)

金城橋を見つけたのは偶然だ。

金城町石畳道を出たところで、道路の向こうに碑文があることに気づき、興味がわいて訪れた。

案内板があったので読んだことで金城橋の存在を知った。

金城橋と識名平
金城橋と識名平(沖縄県那覇市)

金城カネグスク橋と識名平シキナンダ

金城橋は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)が、1809年の洪水により損壊。翌年元の位置から少し下流に移し再建され、橋の南側に「重修金城橋碑文」の碑が建立された。1945年の沖縄戦により橋も碑も破壊されたが、現在残っている日の残欠は、1985年橋改修の際に、橋の北側に移設されたものである。

識名平は、金城橋から識名に至る坂のことで、呼称は方音の「シチナノヒラ」が転訛して「シチナンダ」となり、さらに坂の意味を加え「シチナンダビラ」ともいう。かつては松並木の続く石畳の坂道で、王家の別邸「識名園」に通じ、また、首里から島尻方面に至る幹線道路の一部でもあった。

その他、この付近は、かつて金城川を遡って船の往来があった頃、
宮古の人々が、海上安全を祈願して川岸の洞くつに魚の形を刻んだという伝承から「魚崎原」という地名や、川に身を投げた夫婦の怨念が人魂となって、坂の上から川岸まで漂うという「識名平の遺念火」の伝承が残っている。

案内板を読んで驚いたのが、この金城橋が「識名平の遺念火」の場所だったことだ。

「識名平の遺念火」は琉球の怪談のひとつだ。

むかし――仲の良い夫婦がいた。
妻が物を売りに出かけた帰り、男に襲われ、悲観して自害した。
夫は妻の帰りを待っていたところ亡くなったことを知らされる。
妻を失った夫は後を追うように自害した。
それ以来、遺念火がでるようになった。

そんな話を祖父から聞いたことがあった。那覇市内のどこかだと思っていたら、この金城橋が怪談の場所だったとわかって驚いた。

現在だと目立たない小さな橋で、アスファルト舗装された坂は住宅地に続いており、怪談のあるおどろおどろしい場所のイメージはまったくない。

でも案内板にあった絵を見ると、木々に囲まれた場所だったようだ。

幼いころに聞いていた怪談の現場を偶然訪れる。こんな楽しみがあるから街歩きはやめられない。

金城橋と識名平
金城橋と識名平(沖縄県那覇市)

金城橋について

金城橋
(所在地 沖縄県那覇市繁多川4-21)

■金城橋までの距離(車の場合)
・那覇市役所(那覇市泉崎1-1-1)…約 3.9km(08分)
・那覇空港(那覇市字鏡水150)…約 9.06km(16分)

観光情報についての参考サイト

■NAHANAVI 那覇ナビ
https://www.naha-navi.or.jp/
→那覇市観光協会のサイト

■那覇市 公式サイト
https://www.city.naha.okinawa.jp/

■おきなわ物語
https://www.okinawastory.jp/
→沖縄観光情報WEBサイト

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