畑に立つレンガ造りの大きなエントツ(うるま市)

平敷屋製糖工場跡

平敷屋製糖跡
平敷屋製糖工場跡(沖縄県うるま市)

うるま市をドライブしていると畑の中に何か立っているのが見えた。

近づくにつれてレンガ造りということがわかり、形状から煙突と推測できた。

平敷屋製糖工場跡
平敷屋製糖工場跡(沖縄県うるま市)

興味がわき、近くで見るためにサトウキビ畑の前に駐車して観察してみたが、付近に施設があるわけでもなく、ただ畑の中に煙突が立っている。

なぜ畑の中に煙突が立っているのか不思議で気になっていたが、説明板などもなかったので情報は得られなかった。

再訪して用途がわかった煙突

平敷屋製糖工場跡
平敷屋製糖工場跡(沖縄県うるま市)

見つけた畑の中の煙突は平敷屋へしきや製糖工場跡だと知った。

そのことがわかったのは、再訪したときに史跡として整備されていたからだ。

文化財に登録された平敷屋製糖工場跡

平敷屋製糖工場跡
平敷屋製糖工場跡(沖縄県うるま市)

初めて煙突を見つけたときはサトウキビの中にあり、全貌がよくわからない状態だった。

しかし再訪した平敷屋製糖工場跡の煙突は、畑がなくなり煙突周囲はきれいに整備されて全体がわかるようになっていた。

そして近くには案内板が設置されていて紹介文があり、これを読んで煙突の正体を知ることができた。

平敷屋製糖工場跡
平敷屋製糖工場跡(沖縄県うるま市)

平敷屋製糖工場跡 設置:うるま市教育委員会

平敷屋製糖工場は1940(昭和15)年、勝連平敷屋地域の11組の旧サーターヤー組が合併して新設された共同製糖工場です。
昭和初期の沖縄では、甘蔗圧搾に蓄力を用いる伝統的な在来製糖場と、動力機を備えた共同所有の共同製糖場(改良製糖場ともいう)が共存していました。
1928(昭和3)年以降、共同製糖場を新設する組合に対し補助金が交付されるようになり、設立が促進されました。そうした背景のもと、蒸気を原動力とし、共同製糖場の経営方式をとる平敷屋製糖工場が設立されました。
「平敷屋字誌」や聞き取り調査等によれば、敷地入口には事務所があり、工場建物は南向きで、ボイラー室や圧搾機、搾り汁を煮詰める鍋などがあったといわれています。工場前面には3基の煙突が立ち、煙突の一つは蒸気機関(45馬力)のボイラーにつながり、燃料には石炭を使用していました。
1944(昭和19)年10月におきた十・十空襲以降、工場は操縦できなくなり、その後、米軍の攻撃により破壊されましたが、煙突1基と貯水槽だけが残りました。
煙突はイギリス積みのレンガ造で底部が約2.53m×2.53m、高さ約16.3mの四角錘台の形状で、煙突表面には沖縄戦当時を物語る複数の弾痕が残っています。

貯水槽はコンクリート造で、平面が約9m×10.5mの略長方形で深さが約3.0mあります。X線調査の結果、コンクリートの躯体には、鉄筋のほか、竹が使用されていたことがわかりました。
沖縄の基幹産業である製糖業に関わる貴重な遺跡として、2015(平成27)年1月に国の登録記念物として登録されました。

登録記念物 平敷屋製糖工場跡/平成27年1月26日登録

平敷屋製糖工場跡
平敷屋製糖工場跡(沖縄県うるま市)

用途がわかってスッキリした。

沖縄には、この平敷屋製糖工場跡の煙突のように施設全体の復元図や説明がないと、どのように使われてきたのか不明な史跡が多い。

歴史が埋もれたまま朽ちてしまうのは惜しいので、うるま市のように説明板などを設置すると史跡に興味を持ち、大切にしていく人たちが増えていくのかもしれない。

【こぼれ話】八重瀬町にあった煙突

えんとつガジュマル
えんとつガジュマル

かなり前に八重瀬町でもレンガ造りのエントツを見たことがあった。

エントツの先にガジュマルが生えていて面白いエントツだと思っていたが、おそらくあの場所も製糖工場の跡だったのかもしれない。

平敷屋製糖工場跡周辺のMAP

平敷屋製糖工場跡
(所在地 沖縄県うるま市勝連平敷屋3483 近く)

-アクセス-
平敷屋公園(平敷屋タキノー)から約 0.138kmの場所。
煙突が高いので道路を走っていても見えるため探しやすい。

観光情報についての参考サイト

うるま市の伝統文化
うるま市文化課のサイト

いいなぁうるま市
うるま市経済部商工観光課

うるま~る
うるま市観光物産協会のサイト

うるま時間
うるま市の観光サイト

うるま市
公式サイト