【十二支めぐり】首里観音堂(那覇市)

琉球時代から信仰が厚い首里の四寺「首里観音堂」

首里観音堂
首里観音堂~慈眼院~(沖縄県那覇市)

年始に行われる「七福神めぐり」を知っているだろうか。

七福神めぐりは、福や徳などをもたらすといわれている七福神が祀られている寺社をめぐるというものだ。

沖縄ではこの七福神めぐりと似たような「首里十二支めぐり」というものがある。

こちらは七福神ではなく、干支をめぐるもので今でも地域には根付いている。

「十二支」なので12もめぐるのか!? と思った人はご安心を。

12か所ではなく4か所で、それぞれ那覇市にある寺で訪れやすい。

今回は四寺のひとつ「首里観音堂」を紹介する。

首里観音堂(慈眼院)

首里観音堂
首里観音堂(沖縄県那覇市)

首里十二支めぐりのひとつ「首里観音堂」は、十二支のうち子、丑・寅、辰・巳、午の守り本尊が祀られている。

子年は「千手観音菩薩」、丑・寅年は「虚空蔵菩薩」、辰・巳年は「普賢菩薩」、午年は「勢至菩薩」と干支で守り本尊は異なっている。

首里観音堂
首里観音堂(沖縄県那覇市)

首里観音堂へは平日に訪れたのだが、地元の方がお供え物をもってお祈りをしているところと一緒になった。

1組ではなく、3組だったことから信仰が厚いことがわかってほのぼのした。

ゆっくり見て回りたかったけど、お祈りの邪魔になるといけないので早々に去った。

首里観音堂
首里観音堂から見える町の景色(沖縄県那覇市)

首里観音堂は高台に鎮座していて見晴らしがよかった。

この見晴らしについては琉球時代からも有名で碑が建立された歴史もあり、寺の敷地内に案内板があって次のように紹介されていた。

万歳嶺跡

万歳嶺ばんざいれい(俗称「ウィーナチジナームイ」)は首里台地の西端に位置する丘のことで、かつては松が生い茂り、頂上から美しい眺望が開けていたため、「万歳嶺夕照ばんざいれいせきしょう」と詠われた首里八景の一つであった。

時の国王尚真しょうしんがこの地に遊覧した際、王の治世、国の繁栄を祝う万歳の声がわきおこったことから、1497年、丘の頂上に「万歳嶺記」の碑を建立し、この丘を「万歳嶺」と称した。

1617年、後に国王となる尚豊しょうほうが国質(人質)として薩摩に赴いた際、父尚久しょうきゅうは息子の無事な帰国を祈願。同年尚豊が無事帰国したので、翌1618年、尚久は万歳嶺の南斜面に千手観音像を奉じ、観音堂と慈眼院を建立した。

その後、観音堂は旅の航海安全を祈る場所として人々の信仰を集めていたが、1945年の沖縄戦で焼失、「万歳嶺記」の碑も破壊された。戦後、万歳嶺の頂上付近を削り、観音堂が新たに建てられ、「万歳嶺記」の碑も、残った一部を台座に組み込み、復元されている。

なお、万歳嶺に対し、その西方に連なる小高い丘は「官松嶺かんしょうれい」(俗称「シムナチジナームイ」)と呼ばれていた。

また、もう一つの案内板には竹についての逸話が紹介されていた。

観音竹の由来

観音竹(カンノンチク)はシュロチクの一種で亜熱帯に広く分布しており、沖縄には中国より伝わり庭木として植栽されていた。当寺院にも古い時代から植えられカンノンチクと呼称されてきた。いつしかこの庭木を観音竹といい、全国に広まっていった。当寺院は観音竹の名称の由来地となっている。

首里観音堂
首里観音堂にある碑(沖縄県那覇市)

首里観音堂は十二支めぐりのうち、子、丑・寅、辰・巳、午の六つの守り本尊が祀られているが、ほかの干支はどうなっているのか。

ほかの干支を祀っているお寺は次の三寺となる。

  • 太平山 安國寺…酉
  • 達磨峰 西来院(達磨寺)…卯、戌・亥
  • 大日山 盛光寺…未・申

上記は別記事で紹介するつもりだ。

首里観音堂周辺のMAP

首里観音堂 ~臨済宗 慈眼院~
(所在地 沖縄県那覇市首里山川町3-1)

■首里観音堂までの距離(車の場合)
・那覇市役所(那覇市泉崎1-1-1)…約 3.5km(09分)
・那覇空港(那覇市字鏡水150)…約 9.04km(20分)

観光情報についての参考サイト

■首里観音堂
http://www.shuri-kannondo.or.jp/index.html

■NAHANAVI 那覇ナビ
https://www.naha-navi.or.jp/
→那覇市観光協会のサイト

■那覇市 公式サイト
https://www.city.naha.okinawa.jp/

■おきなわ物語
https://www.okinawastory.jp/
→沖縄観光情報WEBサイト

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