琉球国王の御霊が眠る国廟だった「旧崇元寺」(那覇市)

旧崇元寺第一門及び石牆

旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)

崇元寺は琉球国王の御霊が眠る国廟だった。

かつては本堂もあったが沖縄戦で焼失してしまい、現在の「旧崇元寺第一門及び石牆」は復元したもので周囲は崇元寺公園となっている。

旧崇元寺のようす

旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)

旧崇元寺は無料で入場できる。

石造りのアーチ門をくぐって中へ入ってみても、ちょっとした広間があるだけだ。

広間から一段高くなっている場所(現在の崇元寺公園)に崇元寺の本堂があったと思われる。

近くには説明板があり次のように書かれていた。

旧崇元寺第一門及び石牆

沖縄県指定有形文化財 彫刻/昭和30年1月25日指定
崇元寺下馬碑そうげんじげばひ

崇元寺は臨済宗の寺で山号を霊徳山といった。王府時代の国廟で天孫氏をはじめとする歴代国王の神位が安置され、冊封使が来た時には新王冊封に先立って先王を祀る諭祭が行なわれた。かつて崇元寺は国宝に指定されていたが、先の大戦で正廟をはじめとする木造建築物はすべて焼失した。
第一門及び石牆は、正面中央の切石積み三連の拱門(アーチ門)とその左右に延びる両掖門を備えた琉球石灰岩のあいかた積みの石垣であり、沖縄の石造拱門の代表的なものである。
石門の東に立つ石碑が下馬碑で、戦前は西にも同じものがあり、国の重要美術品に指定されていた。表はかな書き、裏は漢文で、この碑のところから下馬することを命じている。また、碑銘に「大明嘉靖六年丁亥七月二十五日」とあり、この年が1527年(尚清1年)にあたるので崇元寺の創建はこの頃ではないかと考えられている。

平成2年3月/沖縄県教育委員会/那覇市教育委員会

都市景観資源「崇元寺公園のガジュマル」

都市景観資源
崇元寺公園のガジュマル(沖縄県那覇市)

旧崇元寺には大きなガジュマルがあった。

ガジュマルは枝が広がって大きな木陰をつくり、気根も大きく成長して大木となっていて、木の下には「都市景観資源 崇元寺公園のガジュマル」と書かれた石碑があった。

旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)

「都市景観資源」が何なのかは石碑に詳細が書かれていなかったので調べてみた。

那覇市の公式サイトによると「都市景観の形成上重要な価値があると認められる樹木や石垣、拝所、建築物などを対象として、都市景観資源指定候補の選定を行い、所有者の同意を基に都市景観資源として指定」(抜粋)しているとのことだった。

市が場所の選定していることに好感が持てた。

「都市景観資源」は観光資源にもつながるし、ステキな場所を後世にも残すことになるのでいい取り組みだと思う。

2007年の旧崇元寺のようす

旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)

2007年にも旧崇元寺を訪れたが時が経過していてもここは変わらない。

このときもガジュマルがある広間は静まり返っていたが、公園となっている部分ではオジィたちが楽しそうにゲートボールをしていた。

旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)
旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)
旧崇元寺第一門及び石牆
旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)

【こぼれ話】1970年頃の旧崇元寺のようす

旧崇元寺第一門及び石牆
1970年代の旧崇元寺第一門及び石牆(沖縄県那覇市)

わが家のアルバムにはさらにむかしの1970年頃の旧崇元寺のスクラップがあった。

琉球という国がなくなり沖縄県となって、琉球の時代を生きた人はいなくなってしまったが、史跡が残っていることでその存在や歴史を知ることができるから不思議な感じだ。

旧崇元寺周辺のMAP

旧崇元寺第一門及び石牆
(所在地 沖縄県那覇市泊1-9-1)

■旧崇元寺までの距離(車の場合)
・那覇市役所…約 1.94km(05分)
・那覇空港…約 6.93km(14分)
・沖縄県庁…約 1.93km(05分)

■モノレール利用(徒歩の場合)
・牧志駅…約 0.492km(06分)

観光情報についての参考サイト

那覇ナビ
那覇市観光協会の公式サイト

那覇市
公式サイト