田頭には2体の石獅子がいる~その1~(豊見城市)
通常、石獅子は目立たない場所にいるため探しにくくて苦労することが多い。
ところが豊見城市の石獅子は、シーサーの名前が書いてある緑の柱が目印となる。また案内板を設置しているところもあるから目立って探しやすい。
田頭のシーサーは道路沿いに鎮座しており、緑の柱が目についたのですぐに見つけることができた。
田頭のシーサー、2体のうちのひとつ
「田頭のシーサー」と呼ばれる石獅子は2体いる。本当は2カ所訪れるつもりだった。
しかしもう1体はすぐに探すことができず、時間がなかったため諦めた。そのため今回紹介するのは片方だけだ。
田頭のシーサーには案内板が設置されている。石獅子について細かく紹介されており、読んでいくうちに感動した。
案内板には次のように紹介されていた。
このシーサー(石獅子像)は、字田頭に設置された2体のうちの一つで、集落の西端に位置し、西の彼方からやってくるあらゆる災厄から集落を護るために置かれているのだという。
もう1体は、ここから北東向け200mほど離れた集落内の住宅脇に置かれ、シジ(霊力)高い場所だという字与根の数珠森に向けられている。
2体とも頭部のみの簡素な造りのシーサーで、伝承によれば200~300年前に造られたものと伝えられ、古くから集落の護り神として大切にされてきた。
実際にこのシーサーには、沖縄戦で戦車に危うく攻撃されそうになった状況から人々を救ったという逸話が残されている。
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1945年(昭和20)6月中旬、瀬長島方面からアメリカ軍が集落内へ侵攻してきた。そのとき田頭の人々の多くがシーサー像の後方に連なる丘陵地の避難壕の中で息を潜め隠れていた。そこへ一両の戦車が進路を向け進んできた。しかし戦車は途中にあったこのシーサー像に車体の底を乗り上げてしまい立ち往生、何度か踏み越えようとするがその度に阻まれ、前進できなくなった戦車はやむなく向きを変え、人々は難を逃れたという。
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田頭のシーサーは、地域で大切にされてきた民俗文化財として紹介されることはもちろん、進撃する戦車から人々を護った沖縄戦の生き証人として、現在でも広く語り継がれている。
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石獅子はムラを守護すると聞いていたけど、どんなふうに守っているかを書いている案内板は少ない。
ところが田頭のシーサーでは、実際に住民を守った逸話が残されていたことに感動した。
今回は1体しか探せなかったので、次回はもう片方に会いに行こうと思う。
入手した豊見城市の観光ガイドブック
石獅子は豊見城市の公式ガイドブックを頼りに探し回る。
観光ガイドブック中の「気になる!? まちなかのシーサー(石獅子)」というページがあり、10体の石獅子が紹介されている。
ガイドブックには、おおまかだけど地図があるため、豊見城市の石獅子は比較的探しやすい。
田頭のシーサーについて
田頭のシーサー(1) ※田頭のシーサー2体のうち1体
(所在地 沖縄県豊見城市田頭297付近)
※バスが通る道路沿いにある(バス停「田頭」近く)
■田頭のシーサーまでの距離(車の場合)
・豊見城市役所(豊見城市宜保1-1-1)…約 2.36km(04分)
・沖縄県庁(那覇市泉崎1-2-2)…約 6.43km(11分)
・那覇空港(那覇市字鏡水150)…約 4.41km(09分)
観光情報についての参考サイト
■豊見城市観光協会
https://www.tomigusuku-okinawa.jp/
■豊見城市 公式サイト
https://www.city.tomigusuku.lg.jp/index.html
■おきなわ物語
https://www.okinawastory.jp/
→沖縄観光情報WEBサイト