郷土本、沖縄に関係する本はたくさんある
雨が降っているから屋内でゆっくりしたい。
何日も観光して回ったから今日はゆっくりしたい。
でも沖縄を満喫したい……
それなら読書はいかが?
屋内ですごしつつ沖縄を満喫したいのなら、沖縄に関連する本を読むという方法がある。
“雨の日は出かけずに沖縄本を読んでみる?(那覇市)” の続きを読む沖縄の民話・日常の記事
雨が降っているから屋内でゆっくりしたい。
何日も観光して回ったから今日はゆっくりしたい。
でも沖縄を満喫したい……
それなら読書はいかが?
屋内ですごしつつ沖縄を満喫したいのなら、沖縄に関連する本を読むという方法がある。
“雨の日は出かけずに沖縄本を読んでみる?(那覇市)” の続きを読む沖縄戦で琉球時代の面影がある場所はほとんどなくなったが、少しだけ残っているところもある。
首里にある金城町石畳道は有名で、狭い道を歩いてみると、コンクリートや車など技術がない時代を想像して思いをはせることができる。
首里城公園から石畳道に入って、そのまま道を下っていくと車が往来する道に突き当たり、道路を渡った先に小さな橋があるのだがあまり目立たない。
目立たない橋は「金城橋」というが、近くにある案内板を見て琉球の歴史が刻まれていることを知った。
“琉球の歴史を感じさせる金城橋(那覇市)” の続きを読む第二尚氏王統は19代続いている。
王に関連する伝承や史跡などをまとめてみた。
天孫氏王統
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舜天王統
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英祖王統
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察度王統
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第一尚氏王統
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第二尚氏王統
01 尚円
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02 尚宣威
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03 尚真
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04 尚清
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05 尚元
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06 尚永
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07 尚寧
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08 尚豊
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09 尚賢
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10 尚質
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11 尚貞
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12 尚益
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13 尚敬
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14 尚穆
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15 尚温
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16 尚成
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17 尚灝
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18 尚育
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19 尚泰
尚円(=金丸)…1470年~1476年
金丸(=尚円)は伊是名島出身で先の王尚泰久(第一尚氏・6代目)に仕えていた。
玉陵
王家の墓所で、はじめは尚円の遺骨が安置されていたが、のちに歴代の国王や王族が葬られた。
天久宮(琉球八社)
琉球八社のひとつ天久宮は創建が1465年~1487年頃とあり、天久宮の由緒の中に尚円・尚宣威・尚真の名がある。
尚宣威…1477年
尚宣威は、最高神女・聞得大君の抵抗に遭いすぐに王位を退いた。
天久宮(琉球八社)
琉球八社のひとつ天久宮は創建が1465年~1487年頃とあり、天久宮の由緒の中に尚円・尚宣威・尚真の名がある。
尚真…1477年~1526年
那覇市に世界遺産となっている「玉陵」という史跡があるが、それは第二尚氏王統歴代の墓所である。
玉陵は、尚真が父「尚円」の遺骨を安置するために創建したといわれていて、のちは歴代の国王や王族が葬られた。
ただし、例外もあるようで「尚寧」は自らの意思で「浦添ようどれ」に葬られることを希望したという。
天久宮(琉球八社)
琉球八社のひとつ天久宮は創建が1465年~1487年頃とあり、天久宮の由緒の中に尚円・尚宣威・尚真の名がある。
尚清…1527年~1555年
尚元…1556年~1572年
尚永…1573年~1588年
尚寧…1589年~1620年
浦添ようどれ(浦添市)
琉球王に関連するお墓。
右側…英祖王(英祖王統)の墓、左側…尚寧の墓とその一族が眠っているといわれている。
尚豊…1621年~1640年
尚賢…1641年~1647年
尚質…1648年~1668年
尚貞…1669年~1709年
尚益…1710年~1712年
尚敬…1713年~1751年
尚穆…1752年~1794年
尚温…1795年~1802年
尚成…1803年
尚灝…1804年~1834年
尚育…1835年~1847年
尚泰…1848年~1879年
尚泰は琉球の最後の国王。
琉球藩の設置=琉球藩王に任命される
◇
上記は見聞した伝承をまとめています。
いろんな伝承があるため、正誤が不明な部分もあります。
第一尚氏王統は7代続いている。
王に関連する伝承や史跡などをまとめてみた。
琉球王にまつわることは、第一尚氏王統から史料が多くなっている。でも伝承に近い部分があるので、あくまでも参考程度にしてほしい。
天孫氏王統
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舜天王統
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英祖王統
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察度王統
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第一尚氏王統
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第二尚氏王統
01 尚思紹
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02 尚巴志
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03 尚忠
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04 尚思達
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05 尚金福
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06 尚泰久
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07 尚徳
尚思紹…1405年~1421年
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
佐敷ようどれ(南城市)
尚思紹の墓で王と家族が眠っていると伝わる。
尚巴志…1422年~1439年
尚巴志は佐敷按司だったと伝わる。
尚巴志は三山時代の人物で、今帰仁グスクの北山王・攀安知、島尻大里グスクの南山王・他魯毎を滅ぼし、最終的に琉球を統一し、父・尚思紹を王座につかせた。
尚巴志の第4子に布里という者がいるが、琉球の歴史で有名な『志魯・布里の乱』にかかわっている。王権を争っていたがともに死亡している。
今帰仁グスク(=今帰仁城跡、北山城)
沖縄本島にある世界遺産のひとつ。
護佐丸
護佐丸は中城の按司で、尚巴志の娘を妻に迎えるという王府と関わりのある人物。
6代目尚泰久は、越来城主時代に護佐丸の娘を妻に迎えている。
また、護佐丸は名築城家といわれていて、座喜味グスク(=座喜味城跡)や中城グスク(=中城城跡)を築城している。
尚布里の墓(南城市)
尚布里は、2代目尚巴志の六男。
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
場天御嶽(南城市)
尚巴志の祖父・佐銘川大主(伊平屋出身)関連の場所といわれている。
尚忠…1440年~1444年?
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
尚思達…1445年?~1449年
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
尚金福…1450年~1453年
尚金福の子に志魯という者がいるが、琉球の歴史で有名な『志魯・布里の乱』にかかわっている。王権を争っていたがともに死亡している。
志魯・布里の乱
尚金福の死後、尚金福の子「志魯」と尚巴志の子「布里」が王位を争う。
首里城が焼失するなど大きな戦いとなったが、両者とも死亡し、尚巴志の子「尚泰久」が王となった。
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
尚泰久…1454年~1460年(在位7年)
尚泰久は2代目尚巴志の子。
尚泰久は首里城周辺の整備なども行い、金丸(のちの尚円王)を貿易と財政の重要なポストに登用した(御物城御鎖之側の役)。
護佐丸
尚泰久は越来城主時代に護佐丸の娘を妻に迎えており、護佐丸は養父にあたるため政治に影響を及ぼしたといわれている。
護佐丸は尚泰久の時代、本島中部の東海岸あたりを支配者として君臨していたという。
護佐丸の墓(中城村)
中城城跡の近くにある。
阿麻和利
阿麻和利は、尚泰久の時代に勝連半島(うるま市)の勝連グスクを拠点に勢力を誇っていた按司。
尚泰久の娘(百度踏揚)を妻に迎えている。
「護佐丸・阿麻和利の乱」の伝承では極悪人のようになっている阿麻和利だが、勝連では名君だったという説もある不思議な人物。
護佐丸・阿麻和利の乱
諸説あるが、阿麻和利が護佐丸が謀反を企てていると尚泰久をだまして護佐丸を討伐する。続けて阿麻和利は王座を狙おうとしたが、妻の百度踏揚と付き人・鬼大城に知られて失敗に終わり、阿麻和利は王軍に滅ぼされると伝わっていることが多い。
尚泰久王・安次富加名巴志の墓(南城市)
岩の下を利用したお墓となっている。
安次富加名巴志
尚泰久の長男。
百十踏揚の墓(南城市)
百十踏揚は、尚泰久の長女で阿麻和利の妻となる。
阿麻和利亡き後は付き人だった大城賢雄(鬼大城)の妻となるも、大城賢雄が尚円王(第二尚氏)に滅ぼされた後は、弟である三津葉多武喜の元へ身を寄せたらしい。
鬼大城の墓(沖縄市)
大城賢雄(=鬼大城)は阿麻和利亡き後、百十踏揚を妻に迎えた人物。
沖縄市にある知花城跡に「鬼大城の墓」と伝わる墓が建てられている。
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
尚徳…1461年~1469年
尚徳は6代目尚泰久の第3子。
尚徳は29歳で死亡。王位承継をめぐって首里城内で話し合いが行なわれ、金丸(のちの尚円)が王位に就いた。
積極的に貿易を行なったりしたが、尚徳は暴君だったようで不満から政情不安が高まり、王位承継をめぐり首里城内で話し合いがあり、その結果、金丸が王位についた。
尚徳の死については、失意のうちに病死したという説や毒殺されたのではという説もある。
尚徳王は喜界島攻略後、凱旋報告のため久高島を訪れたという。
島の女性としばらく同棲していたが、その間に首里城では革命が起こり、尚徳は急いで舟に乗り帰路につくが、途中で金丸(=尚円王)が王位についたと聞き、海へ身を投げたという伝承もある。
大里家(南城市・久高島)
尚徳と久高島の女性が同棲していた場所と伝わる。
安里八幡宮(那覇市)
1466年に尚徳王により創建された。
佐敷上グスク(=つきしろの宮)(南城市)
伝承によると琉球王8体が合祀されている。
佐銘川大主・尚思紹・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳。
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上記は見聞した伝承をまとめています。
いろんな伝承があるため、正誤が不明な部分もあります。
久しぶりに金武町にある観音寺を訪れた。
本堂などは変わっておらず、なつかしいと思いながら境内を散策した。
このときに、以前書いたblogの記事に誤りがあることに気づいた。
間違っていたのは「日秀洞」のことで、過去にアップした記事の場所ではなかったのだ。
そこで、以前紹介した洞穴はどこだったのか写真を見直し、記憶をたどりながら調べていくと、金武町にある酒造だった。
過去の記事を参考にして金武観音寺の日秀洞を探した方々、勘違いの内容で混乱させてしまい、すみませんでした。以前の記事の誤り部分は修正・削除しました。
今回は正式な日秀洞を訪れ、洞窟内にも入ってみたので改めて日秀洞を紹介します。
“金武観音寺にある不思議な鍾乳洞「日秀洞」(金武町)” の続きを読む