天孫氏王統
天孫王統は、実在していたのかは不明だ。
琉球神話または伝説という形で語り継がれている王統で、琉球の歴史を記した書物『中山世鑑』『中山世譜』『球陽』の中で、琉球の開闢神話や各王統の由緒を知ることができる。
国の始まりは日本神話と似ている部分があって、それが世界各国の神話とも似ている部分がある点が興味深い。
6つに分かれる琉球王統
天孫氏王統
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舜天王統
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英祖王統
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察度王統
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第一尚氏王統
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第二尚氏王統
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わが家に伝わる琉球開闢の伝承
歴史好きの祖父から家系図をもらったが、その家系図には琉球神話も書かれている。
家系図によれば琉球の始まりと天孫氏王統について、次の図のように伝わっている。
島(琉球)には国造りの父と母がおり、国父は志仁禮久、国母は阿摩彌久といい、二人の間に生まれたのが天帝だった。
天帝には五人の子がいて、長男は天孫つまり琉球王を指し、二男は按司の始まり、三男は百姓の始まり、長女は聞得大君つまり神人の始まり、二女は奴留の始まりになったと伝わっている。
天孫氏は17800余年続き、「御嶽崇拝」「自然崇拝」「元祖崇拝」もここから始まったという。
ほかにもある琉球開闢神話 其の壱
伝承なので、ほかにもいろんな説がある。
別の琉球開闢説では、天帝の命を受けた阿摩美久が下界におりて島々を造り、天帝からいただいた一組の男女を下界の島に住まわせた。
二人の間に三男二女が生まれ、長男が王、二男が按司、三男が百姓の始まりとなり、長女が高級神女(国の神女)、二女が祝女の始まりになったという。
長男の王は「天孫」といい、天孫氏の王統は25代(17800年余り)まで続いた。
天孫氏王統のときに、沖縄本島を「国頭」「中頭」「島尻」の3つに分け、島民に農耕を教えたり家屋を造ったりし、城をかまえて「首里」と命名し、各間切の区画も定めたという。
天孫氏王統は、利勇という家臣に滅ぼされたらしい。
ほかにもある琉球開闢神話 其の弐
さらに別の琉球開闢神話では、神「アマミキヨ」が天から降りてきて島を造り、次に国造りを始めた。
その後、三男二女をもうけて長男の「天孫氏」が国王、次男は「地方の城主」となり、三男が「百姓」を始めた。
長女は巫女(ここでは「ノロ」を指す)を統率する最高の神聖「聞得大君」の始祖となり、二女は巫女の始めとなったという。
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天孫氏は伝説上の王統なので、伝承もいろいろある。
共通しているのは、琉球の国造りをした神とゆかりのある人物(長男)が初めの王となった点だ。
国造りや始祖に関する伝説はほかにもあるので紹介していく。
アダムとイブのような伝説がある古宇利島
今帰仁村にある古宇利島には、アダムとイブのような伝説が語り継がれている。
むかし古宇利島には、「ウミナイ」と「ウナイ」という男女が不自由なく暮らしていた。
ある日、欲を出したことで働くことになり、その始めの男女の子孫が現在の沖縄の人たちだという。
琉球開闢の神様にまつわる伝説がある浜比嘉島
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琉球開闢の神、「アマミチュー」と「シルミチュー」の居住したところと伝えられている聖地や、アマミチューの墓という聖地がある。