魔物を封じた場所と伝わる経塚の碑
怪談・奇談は口伝によって広まるものなので真偽はあやふや、内容もぼんやりとしたものが多い。
そのため一笑されて終わりとなるのが普通だが、浦添市には魔物を封じたという碑が残っているから驚く。
琉球時代から伝承され、現在でも都市伝説を持つ「経塚の碑」を訪れてみた。
経塚の碑のようす
経塚の碑は浦添市にある史跡のひとつで、浦添市の文化財ガイドブックにも掲載されている。
大げさにいうと浦添市公式の不思議な伝承を持つ名所だ。
どんな由緒なのかは、経塚の碑について紹介していた説明板で紹介する。
浦添市指定文化財 史跡 経塚の碑
昔、このあたりは松が生い茂る人里はなれたさみしい場所で、ここに巣くう妖怪が道ゆく人々をたぶらかしていました。一六世紀のはじめ、高野山で修業した日秀上人が、お経(金剛経)を書いた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ碑を立て、妖怪を鎮めたと伝えられています。その後、地震の時に「チョウチカチカ」、あるいは「チョウチカ、チョウチカ」と唱えるとおさまると信じられるようになりました。
お経を埋めた塚を経塚といい、この地域の名前の由来となっています。経塚の碑は旧暦一〇月一日のウマチーヌウガンで拝まれるなど、地域の人々から大切にされています。
昭和五六年三月二日指定/浦添市教育委員会
上記の説明に出てくる「
二つの伝説の真偽は不明だが、日秀上人が活躍していた琉球時代には、マジムン(魔物)の存在を身近に感じていたようだ。
こういう不思議なものが残っているのを知ると、祖父母が「昔はよく火の玉を見たよ」と語っていたのを思い出す。
火の玉は「埋葬した遺体から出たリン(P)が光ったもの」「単なる見間違い」などと解説されているけど、多数の人が経験している点が興味深い。
それに違う場所で体験している人たちが同じような見違えをしたとは考えにくいし、遺体のない場所で見た場合はどう解釈するのかなど、釈然としないパターンもある。
今でも沖縄では不思議な話や都市伝説のような話はあちこちで聞くが、あまり真剣に捉えられていないように感じる。
しかし昔は不思議なコトは他人事ではなく、日常のふとした瞬間に起こる怪異だったのかもしれない。
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入手した浦添市の観光リーフレット
浦添市の文化財ガイドブック「ぶらり浦添 歴史のさんぽ道」のなかに「経塚の碑」も紹介されている。
(上記の画像はガイドブックを抜粋して掲載している)
経塚の碑周辺のMAP
経塚の碑 ~うちょうもう公園~
(所在地 沖縄県浦添市経塚1-2)
■経塚の碑までの距離(車の場合)
・浦添市役所(浦添市安波茶1-1-1)…約 1.07km(02分)
・沖縄県庁(那覇市泉崎1-2-2)…約 7.85km(17分)
・那覇空港(那覇市字鏡水150)…約 13.0km(26分)
観光情報についての参考サイト
■うらそえナビ
https://www.urasoenavi.jp/
→浦添市観光協会
■浦添市 公式サイト
http://www.city.urasoe.lg.jp/
■おきなわ物語
https://www.okinawastory.jp/
→沖縄観光情報WEBサイト